TALK No.01
ダイアン・クライス

レースが織りなす人の縁、瀬口美香の美を求めて



  • 瀬口:本日はアンティークレースの魅力を教えてくださったダイアンさんに改めてインタビューさせていただきます。ダイアンさんはベルギーのアントワープご出身で、おばあさまの膨大なレースコレクションに囲まれて育ちました。その後ロンドンのビクトリア&アルバート美術館の学芸員のもとでレースの研究をスタートされ、今も熱心にレースの研究に励んでいらっしゃいます。

    ダイアンさんは2万点を超える素晴らしいアンティークレースのコレクションをお持ちで、今も世界中からアンティークレースの収集を続けていらっしゃいます。2018年に渋谷区の松濤美術館でダイアンコレクション展というアンティークレースの素晴らしい展覧会がございまして、私はその展覧会に伺ったことがきっかけでダイアンさんと出会えました。ダイアンさんのレースに対する情熱に心打たれて、今もこうして学ばせていただいております。 それでは早速、ダイアンさんにとってのレースの魅力をたっぷりと語ってください。



    ダイアン・クライスさん


    ダイアン:人から「お仕事は何ですか?」と聞かれ、「アンティークレースです」と答えると、いつも「ああ、レースをつくっているのですね」と言われます。でも、私はレースをつくってはいません。祖母は制作もしていたのですが、私はダメな生徒で(笑)、つくるよりも見たり歴史を調べたりする方が好きでした。

    レースの勉強をしていると、いつも新しい物語を発見します。レースは過去の秘密を明らかにする美しい方法なのです。そしてまた、レースはコミュニケーションの良い手段でもあります。男性の多くはレースなんてたいしたものではないと思っているのですが、歴史を知るうちにどんどん引き込まれていき「面白い、もっともっと知りたい!」となります。レースを通じてコミュニケーションができるのです。レースは多くの人にとって未知の世界ですから、レースの歴史を知ることで感動が生まれるのです。

    シルクロードを通じて、異なる文化間でのコミュニケーションが始まりました。例えば初期のイタリアのレースデザインのいくつかは、東洋のモザイクに触発されています。ヴェネチアは東洋と西洋の文化の懸け橋です。モザイクはイタリアで人気を博しました。ヴェネチアのレース職人はこれらの小さな部分からインスピレーションを受け、生地の一部を切り取るようになりました。空いたスペースは針仕事で飾られました。

    日本からも色々なデザインが取り入れられました。例えば17世紀のレースに取り入れられた牡丹。この花はヨーロッパでステータスシンボルとなりました。仏教的な意味からキリスト教的な意味へと変化していき、牡丹は「マリアの花」と呼ばれるようになりました。つまり、牡丹は聖母マリアの純潔のシンボルとなったのです。

    このようにレースは単なる装飾品ではありません。その背後にある歴史を研究する必要があります。神話のシンボルや古代のサインがレースに内包されています。ボビン*や針で織られた糸が静かな声で物語を語りかけるのです。

    またレースのデザインは、その国のイメージを表現することができます。例えばウォー・レース**。これにはバラの刺繍がしてありますが、これはベルギーの代表的なデザインになりました。明治時代には多くのイギリス人が横浜に来日し、1880年7月5日、横浜にレース学校が政府の認可により設立しました。1885年のロンドンで開かれた博覧会には、日本デザインのレースの襟とカフスが出品されました。これらは横浜レース学校でつくられたものでした。そのボビンレースの技法はイギリスから学んだものですが、モチーフは鶴と亀と梅、典型的な日本デザインでした。

    レースから受け取れる美しさと幸福を広めることは、祖母に対する私の一生の義務です。それは果てしない作業かもしれませんが、とても素敵なことだと思っています。



    ウォー・レース


    瀬口:改めていいお話ありがとうございました。感動しました!
    私もダイアンさんのおかげでレースの魅力に気づくことができたのですけれど、知れば知るほど、どれだけ長い時間と美しいものを生み出す向上心の上につくられてきたのかってことが分かってきて、背筋が伸びる思いです。では引き続き、ダイアンさんとレースとの出会いについてお話ししていただけますか?


    ダイアン:私のレースを味わう力は家族から受け継いでいます。祖母はかつて、レースショップを営んでいました。自分でつくったレースを販売していましたが、仕入れたレースも売っていました。祖母の店は繊細な刺繍でも有名でした。彼女は顧客から愛されていて、遠くから会いに来るお客さんもいました。

    私の家系では、何世代も前にレースの収集が始まりました。家族はアンティークレースの美的・歴史的価値と同様に、レースをつくる職人技にも大きな敬意を抱いていました。祖母はレースの熱烈なコレクターでした。世の中の人々にレースは時代遅れだと思われていた時代でも、私の家族はレースを大切にし、できる限り保存しようと努力してきました。祖母は私にレースの本当の価値を教えてくれ、レースの歴史的価値を世界の多くの人に伝えてほしいと言ったのです。その言葉が、私の頭の中でレースのような模様になりました。

    母は祖母のお店を何年か継ぎましたが、レースの需要が減少したため、店を閉めてしまいました。しかし、母は個人のお客様のために婚礼衣装を提供し続けました。ウェディングに関する衣装を専門としたのです。それは、我が家のいたるところにレースがあったことを意味します。リビングにはいつもウェディングベールがあって、「ダイアン、気をつけて!」と言われながら育ちました(笑)。

    その後結婚を機に、再びレースが私の人生に戻ってきました。夫のエルウィンは西洋アンティークに造詣が深く、私が語るレースの物話に夢中になりました。そしてベルギーのブルージュに、アンティークショップをオープンすることになりました。1980年です。このお店はヨーロッパのアンティーク、特にアンティークレースで世界的に知られるようになりました。1980年代からレースの収集と制作が本格的なブームになったのは、主人のお陰でもあります。


    瀬口:初めてご主人とのお話も聞けました。お二人の仲が良いのでいつも素敵だなぁと思っていました。素敵なお話ありがとうございます。


    ダイアン:それはレースと同じですね。ボビンと糸はいつも一緒です。


    瀬口:わー、羨ましい(笑)。レースの創作活動をしていると、レースは破れたり変色したりすごくデリケートなので取り扱いに緊張するのですが、これほどデリケートで膨大な時間がかけられているものを昔の人は身に纏っていたということに本当に驚きます。この貴重なレースを現代の私たちが同じように身に纏うことはできないので、どうやって多くの人にこの魅力を知っていただくか、頭を悩ましています。ヴィニティークの仕事について、ちょっとアドバイスをいただけたら嬉しいです。


    ダイアン:最初にお会いしたとき、瀬口さんからレースという芸術に対する敬意と情熱を感じました。それが私のヴィニティークに対する信頼となっています。

    瀬口さんはレースに対して特別なアプローチをしているように感じました。デザインに自分なりの意味を見いだす。瀬口さんは日本人の感覚でレースを見ている。立体的にレースを見ているように感じます。これは欧米人のレースの見方とは違う。だからコラボレーションが面白いものになるのです。瀬口さんには、ヨーロッパのレースの魅力を日本に広めたいという思いがあるようですが、パワーと勇気を持ってほしいですね。瀬口さんの温かい人柄が、その扉を開けてくれることでしょう。

    かつてレースは王侯貴族だけの贅沢品でした。自国産のレースを身につけることは、誇りでもあったのです。国によってはレースの製造、使用、取引が法律で保護されていました。しかし機械でレースをつくるようになると、レースは庶民にも手が届くようになりました。これは劇的な変化でした。やがて機械によるレースづくりは世界中に広まりました。どの国でレースがつくられているか、と問うことはもはや意味がありません。デザインさえ良ければ、どこの国のレースでもいいのです。

    このことは、レースが平和の使者になったことを意味するのではないでしょうか。レースは、どの国でもお互いを尊重することができるという見本になるはずです。レースを通じて平和のメッセージを伝えるには、瀬口さんのような人が必要なのです。


    瀬口:ありがとうございます。過分なお言葉を頂戴しました。
    ダイアンさんがおばあさまの影響で頑張っておられるように、私も母がずっと応援してくれているので、これからも頑張って続けていきたいと思っています。
    いよいよ河口湖の「音楽と森の美術館」に、ザ・ギンザ スペースで発表したインスタレーションが展示されます。あのインスタレーションは、アンティークレースを今の人々が身に纏うことはできないので、優しいレースに包まれる感覚をどうしたら一人でも多くの人に感じ取っていただけるかを考えて実現した作品です。ぜひ多くの人々に見ていただきたいと思っています。



    アンティークレースのインスタレーション


    ダイアン:いつからですか? 桜のシーズンですか?


    瀬口:3月の25日からです。ダイアンさんも暖かくなったらぜひ来てくださいね。
    それでは本日はこのあたりで終わりにしたいと思います。素敵なお話、本当にありがとうございました!
    (2023年2月22日、オンラインにて)



    瀬口美香


    *ボビン:Bobbin。「糸巻き」の意味
    **ウォー・レース:第一次世界大戦の影響でベルギーでは5万人ものレース職人が困窮した。それを救うために、のちのアメリカ第31代大統領ハーバート・クラーク・フーヴァーがベルギー救済委員会を設立、糸と食料を職人たちに供給した。この時期のベルギーのレースを「ウォー・レース」と呼ぶ

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